#03

技術とひと

2023.09.08

10年後の笑顔のために

令和5年度から総合技術部の副部長になられた伊東久美子さん(以下、伊東副部長)は、部局の業務のほかに、男女共同参画部会や広報担当部会、情報・ネットワーク群(以下、情報群)代表、生物・生命科学群(以下、生物群)代表など多岐にわたる総合技術部の業務を経験されました。そこで、これまでの業務や今後の総合技術部についてお話を伺いました。(取材日:2023年6月30 日)

私の歴史、私の仕事観

東北大に就職された経緯を教えてください。 最初は植物病理学研究室に教務職員として採用されました。昔は行政技官と教務技官に別れていて、その内の教務の方ですね。東北大学農学部水産学科(当時)の4年生だったときに、潜水士になりたくて免許も取り、サルベージ会社の内定をもらっていたのですが、秋口ぐらいに植物病理学研究室の先生から、指導教員経由でお声がけをいただいて。内定を断って教務技官の面接を受けたというのが経緯です。選考採用だったから試験はなくて面接だけで採用となって、研究に関わっていました。

潜水士の資格をお持ちとは意外です。ところで、行政と聞くと今の事務職員の印象がありますが、教務技官とはどのような違いがあったのでしょうか。 行政技官というのは事務職員ではなくて、今でいう技術職員と同じようなものだと思います。だから行政技官の人たちは、東北地区研修や全国のいろんな研究会などに接する機会も多かったのですけれど、教務技官はそういうことには全くノータッチ。多分、今残っている人たちで、教務技官と行政技官と分かっている人は、もう殆どいないかなと思いますね。

農学部での業務はどのようなものでしたか。 研究室は植物の病原菌の遺伝子解析、具体的には病原菌の塩基配列の変異や形状異常の原因となる塩基配列の変異を探すことをやっていました。 その後は対象がウイルスに変わって、ウイルスの変異も調べて、それを植物に摂取させてどういう病気が出てくるか、という研究をしていました。
勤めて16年目に入ったときに、電子顕微鏡(以下、電顕)室の前任者が退職するけれども後任がいないという話があって、希望者がいなかったので私が後任として電顕室に移ることになりました。その少し前に教務技官制度が廃止され、教員か技術職員かを選ぶ直前の時期に、教員と同じくらい研究が忙しくなってしまって。土日返上してまで研究をしたいとは思えなかったから、教員ではなく技術職員を選んだのね。ただ、電顕は学生時代も含めて一切経験がなくて。今思うとよく異動したなと思うのだけれど、40歳の時だったから定年まで20年あるでしょう?そのぐらいあれば、なにかひと仕事できるかと思って。

えっ、肝が据わっている感じがします。 20年あれば、ハイレベルのところまでは行けなくてもそれなりのことができると思いませんか? 45とか50歳になるとだんだん守りに入っちゃうでしょう。能力があるかどうかは別として、守りに入る前に変わるのは今しかないかなと思って移りました。
ただ、電顕を操作することは出来るだろうけれど、機械は苦手で、電顕の詳しい構造の説明を求められても答えるのは多分無理、と諦めました。なので、電顕の使い方やアプリケーションを勉強しました。研究室にいたから、解析や分析したいサンプルと研究の背景などはよく分かっていたし、依頼者の要望をうまく察せられるのは、自分の強みかなとは思いますね。

人との関わりの中で

総合技術部に関わるようになったのはいつごろですか。 技術職員になってから、電顕担当者の集まりや研修があることを聞いて参加して。その後、総合技術部や職群ができて、職群で研修が奨励されるようになって。ベースのできている電顕の研修を企画することになった流れで、なんとなくいろいろな研修に関わっていったのが、そもそもの始まりだったと思います。
あとは、前任者から農学部の技術長を引き継いだ翌年に、当時の副部長から男女共同参画関係の研修を依頼されて総合技術部の運営的なところにだんだんと関わってきたかな。

伊東副部長は男女共同参画部会と広報担当部会の部会長の後、情報群と生物群の職群代表を歴任されましたが、生物群や業務であまり関わりがないような情報群代表を務めることになった経緯などを教えていただけますか。 当時の生物群の代表から「伊東さん農学部だけど、分析の人だしね。」って言われたときに「私、分析装置を使っているから分析群にいますけれど、農学部卒業で脳みそは農学部ですよ、生物ですよ。」って答えてしまって。それをきっかけに、代表が代表候補に考えてくださったようで、その頃から生物群の専門員会議的な集まりに出るようになりました。なので、代表がご定年になった後は生物群の代表を引き継ぐかもしれないとは意識していましたが…。

生物群の前に情報群の代表をされていましたよね。 情報群の代表は、もう突然で…。今でも忘れない、3月11日4時半。当時の副部長が農学部にいらっしゃって、雑談を10分位したところで「情報群の代表やりませんか。」と切り出されました。その場は一晩考えさせてもらえませんか、とお返事をするのがやっと。一応、その二年後に職群代表となることを想定して、農学部の業務を少しずつ整理して体制を整えている途中でした。だけど、来月から?となってしまってもう慌てた(笑)。

実際に情報群代表となってどうでしたか。 情報群代表となることを決めて名簿を見たときに、顔と名前と部局の3つが記憶と一致している人が1/3くらい、なんとなく知っている人が1/3くらい、初めて見る名前の人がだいたい10人ぐらいいて。広報担当部会に長くいたので情報群の方を思っていたよりも知っていて安心しましたね。

代表として、情報群と生物群との違いはありましたか。 情報の業務はこれまで縁がなかったけれど、生物のことは学生時代からずっと携わっていたので、情報群から生物群の代表になったばかりの時はホームに戻ったような感じで楽になるかと思っていました。実際は、生物群も知らないことが多くて。業務という点では、情報の仕事は多分できないけれど、生物群の仕事はできる状態だと思うんです。ただ、管理職として全体を見るっていう点では、どちらも同じだなと思いました。

職群代表を務められるとともに2021年度からコアファシリティ統括センター(以下、CFC)に携わっていらっしゃいますが、CFCと総合技術部の関係について教えていただけますか。 CFCの中に総合技術部が入ったわけではなくて、総合技術部がCFCの一部の業務をサポートする位置づけです。そして、総合技術部の活動もCFCに報告していて。はじめはなぜ報告する必要が?と疑問だったのですが、総合技術部で活動しても公式にアピールする方法がないじゃないですか。ウェブサイトで活動報告をしてもそれは国には上がっていかないですよね。コアファシリティ事業は文科省の事業なので、そこに報告すると総合技術部の活動も国に伝えることができると分かり、私自身がその頃からようやくいろいろなことを理解できるようになったから、多分皆さんはまだまだCFCって何? という気持ちが強いかと思います。なので、こちらからもっとCFCについて情報発信しなくてはいけないですね。
事業年度としては、CFCは令和7年度で終わるけれど、 組織は残る方向なんですね。そのために、事業年度のうちに活動実績をしっかり残しておかないと大学にアピールできなくなってしまいます。

CFCには色々なワーキンググループがあるのは分かるのですが、関わっている人以外は何をやっているのか見えづらいと感じています。 CFC事業そのものが機器の共用化とかが柱なので、分析群の人や、リモート化やスマート化でかかわっている情報群の人以外の方はイメージしにくいかと思います。皆さんに分かっていただくには、やはり説明が必要ですね。

みえた景色、目指す未来

副部長となって3カ月が経ちますが、感想はありますか。 最初ね、1カ月が終わった時に1/36が終わったって感じてしまった。

もしかして毎月目標を立てているとかでしょうか。…それとも、ただ日時が経過したということでしょうか。 毎月具体的な目標を立てていることはないけれど、どちらの意味もありますね。ここまでやりたいっていう目標みたいなものはあるんです。あと次の副部長に引き継ぐ時に今のモヤモヤしていることを全部スリムに解消してバトンタッチしたいなと思うから。

副部長になられて、最初に思っていたことと違うようなことはありませんか。 副部長になったからといって、仕事の中身自体はあまり変わっていないんです。変わったところというと、今までだと仲間内で完結していた人間関係が、今は上の人たちに物申しに行かなきゃいけないという点ですね。やっていることは それほど変わってないから、そんなに戸惑いはなかったかと思います。

やりがいなどはありますか。 10年後に私は大学にはいないけど、その時に大学にいる人たちがニコニコして仕事をしている姿を想像しながら、いろいろな仕事をすることがとても楽しいですね。仕事自体は楽しくないですよ。文科省のサイト見て、分厚い資料を印刷して、いろいろ考えながらひたすらメールや資料作りというのは楽しくないじゃない。パソコンの前に、一人で座って考えなければいけないもの。だけど、これが達成できたら、きっとみんないい感じで仕事できるなあって思い浮かべると、それはやりがいがあるかな。

総合技術研究会などで、伊東副部長は他大学の方とも交流されていますけれど、東北大の総合技術部のいいところを教えてください。 東北大の総合技術部がいいなと思うことの一つに、その大学に認められた組織なので、東北地区研修なども大学の公式なイベントとして、勤務時間内に業務として取り組めることがあります。公式な組織じゃないと何かイベントに取り組む時、年休を出して実施しなければならない大学もあるようです。

他大学は総合技術部のような技術職員がまとまった組織がないところもありますが、総合技術部があった方が動きやすいということですね。 そうですね。実は私が若い頃、総合技術部は要らないって暴れていた人なんですよ。総合技術部が出来たばかりの頃って活動自体が少なかったので、何のための組織か分からなくて。それは当時の人たちが悪いのではなくて、当時の人たち自身も何をやったらいいかわからなかったはずなんですよ。実際、いろいろな部局の人と関わるようになって、あってもいいんだなって思うようになってきて、今はあった方が良いと思うようになりました。

以前は総合技術部がなくていいと考えられていたのは意外です。これから総合技術部をどうしていきたいと考えていますか。 大きな大学の取り組みが入ってくると、対応も変わるので具体的なことは答にくいですね。ただ、大学や教員が技術職員に求める業務ってその時々で変わってしまうことが多いんです。例えば、過去には特定の分野のスペシャリストだけを望まれたり、教育の基盤的なところをしっかり支えてくれる人材が欲しいと言われたり。どのような業務をするのが技術職員なのかっていうビジョンが明確にできないまま、月日が流れてしまっていると思っています。大学の状況が変わってくるとそれに副った新しい技術職員像を求められると思うので、そのときには、誰かから言われるがままに流されないようにしたいという思いはあります。技術職員はこうあるべきだよねっていうのを、こちらからも声を上げられるように考えていきたいなと思っています。
あとは、技術職員は、まだまだ部局専属の人と思われているので、それを解消して、大学全体として運営するイベントやプロジェクト等の取り組みがあった時に、部局を超えて適した技術職員に声をかけてもらえるようにしたいなと。
そういう取り組みに関わる人の仕事は負荷が増すけれども、元々の仕事をほかの人に回せるようなフレキシブルな人の動かし方ができるようにしたいですよね。余裕を持った採用というのができればと考えています。それがかなえば、例えば急に病気休職となっても、ほかの人で仕事をこなせるような形になると思うんです。いますぐは無理だけれども、副部長として何とかしたいと思っていることの一つです。

その時間は、無駄なんかじゃない

伊東副部長から若手、中堅、管理職の技術職員にメッセージをいただけますか? 1つだけお願いするとしたら、総合技術部のことでも部局のことでも、一見、無駄かなと思うことも、それは無駄なことじゃないと伝えたいですね。私にも時間が余って自分で勉強したりマニュアル作ったりするしかない時期があったんですよ。こんなことやっていていいのかな、給料泥棒じゃないかなとか思うこともあったけれど。だんだん全学の仕事に関わるようになって忙しくなった時に思ったのは、「あの時間は無駄じゃなかった、やっていてよかった」ということです。
だから若い人も中堅の人も管理職の人もこれは何のためになるの?と感じることもあるかと思うのですが、それは一生懸命やってみてほしいなと思います。絶対いつか役に立つことがあるはず。技術職員として大学に在職している時なのか、定年になってからのことなのかは分からないけれど、絶対、人生のどこかで役に立つと思って取り組んで欲しいな。嫌なことも、辛いことも、くじけそうになることもあると思うけれど。絶対自分の役に立つと思って、ちょっと踏ん張ってもらいたいです。でも、くじけそうになる前には誰かに声を上げて欲しいと思いますね。そこだけ伝わったらありがたいかな。

そうですね、若い時ほどこれでいいのかな?と思うことはそれぞれにあったかと思います。 勤務時間中に完全に趣味の世界に浸られたら困るけど。仕事に関わること、それは自分の今の仕事に関わることでなくても良くて、分析の人がウェブサイトの勉強をしたり、植物を扱っている人が装置のことを勉強していいと思うんだよね。中堅の人は、もし自分がいずれ管理職になるかもしれないなって思う人がいたら、その時に勉強してきたことがきっと役に立ちます。
時間があるときに今の仕事と関係ないことをしていてよかったなと思う私の経験例をあげると、異なる職群の研修に参加したことですね。安全群と情報群の方が農学部にいたんだけど、同じ部局にいても仕事上の接点がなかった職群の方の業務内容や職群の立ち位置ってよくわからないじゃない?その二人の仕事を理解するために、違う職群の研修に参加することはその頃メジャーじゃなかったけれど、当時の職群代表に頼んで参加させてもらいました。おかげで、情報群の代表になった時に(広報担当部会に所属していたこともあるけれど、)なんとなく情報群の雰囲気が理解できていたんです。そのこともあって無駄じゃなかったなと思いますね。

メッセージをありがとうございます。これからの総合技術部がどう変わっていくのか楽しみになってきました。 先のことなので、具体的なことは分かりませんが、総合技術部が皆さんにとってよりよい組織になるようがんばっていきたいです。

 

撮影・取材:広報担当部会取材班

Profile

  • 伊東久美子
    いとう・くみこ
    総合技術部副部長
    分析・評価・観測群 農学研究科
    平成2年に教務技官として採用され、平成17年から技術職員に。令和5年に総合技術部副部長となる。 趣味は裁縫による小物作りながら、時間を割けず、関連雑誌を積み上げ癒される日々。 年に一度の音楽フェスに参加することを楽しみに仕事に取り組む。